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絵とお喋りすること

  • 4月16日
  • 読了時間: 1分

祖母が日本画や書を嗜んでいたこともあって、幼少期から、美術館に連れて行ってもらうことが多かった。


また建築学科へ入ると、感性を磨くべく、皆競い合って通った。身構えずに美術と対峙できるようになったことは、とても有難い環境だったと思う。


不思議なことに、同じ絵を見ても、その時の自分の心の状態で全く違う絵に見えたりする。心が沈んでいるときに見える色彩。撥ねるような心持ちで対峙する彫刻。人寂しくて縋る絵筆の跡。


球技の壁打ちのように、自分の思考を絵に投げ、帰ってくる言葉を感じる。もしくは美術そのものの力に打たれて、頭を占領していた悩ましい思考を一気に消し去ってくれることもある。


いわば、美術を通して自分と対話する時間を取るような感覚。時に、たくさんの言葉や感情が渦巻いてしまう頭を鎮めるために、私は美術館に行くのが好きなのかもしれない。

 
 
 

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