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short essays
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人は壁の厚みを見抜く
そこに石の壁があるとする。 側面は見えないから、石の厚みはわからない。なのに私たちは、その厚みをなんとなく感じる。分厚い石が積まれているのか、薄い石が張られているのか。その質量を感じ取る。人は言葉にできずとも、空間を感じ取っているのだと思う。 もしかして、壁の向こうの気配や音を推し量っているのかもしれないし、肌が感じる温度でその壁の厚みを感じ取っているのかもしれない。なぜなら、壁が厚ければ厚いほど、音はシャットアウトされるし、私たちが感じる室温とは、壁表面の温度に左右されるから。 それと同じように、その空間を設計した人間の心持も見透かされているのかもしれない。仲間の設計を見ると、どことなく性格が透けて見えるものだ。 それは作家なら、文章から人となりがわかるようなものかもしれない。自身の日々の生活や思考が設計に透けるなら、おろそかにしちゃいけないんだよなぁ……とゴロゴロしながら過ぎゆく、穏やかな午後のひととき。
6月3日


贅沢な時間
これまでで一番贅沢な時間を過ごしたのは?と聞かれたなら、美術館の展示室を独り占めしたこと、と答える。 お盆の最中だったか。とある地方の美術館を訪れたところ、人っ子一人いなかった。数階分はあろうかと思う高天井。広大な展示室を満たす柔らかな光。四周の壁に掛けられた大きな絵画。空間の中央にボタン留めの革張りベンチ。 そんな贅沢な空間の中に、たった一人。絵を隅々まで眺めるもベンチに寝転がるも自由。監視員すらいなかった。心ゆくまで対話できること、その空間を独り占めしていることに、ただただ感動していた。 その場所とは、美術館設計では右に出るものがいないと言われる谷口吉生の設計、かつ20世紀最高傑作ともいわれる豊田市美術館。 おかしなことに、なんの展覧会だったか、どんな絵だったかは全く覚えていない。あの空間と時間を独り占めした豊かな気持ちだけが残っている。
6月2日


絵とお喋りすること
祖母が日本画や書を嗜んでいたこともあって、幼少期から、美術館に連れて行ってもらうことが多かった。 また建築学科へ入ると、感性を磨くべく、皆競い合って通った。身構えずに美術と対峙できるようになったことは、とても有難い環境だったと思う。 不思議なことに、同じ絵を見ても、その時の自分の心の状態で全く違う絵に見えたりする。心が沈んでいるときに見える色彩。撥ねるような心持ちで対峙する彫刻。人寂しくて縋る絵筆の跡。 球技の壁打ちのように、自分の思考を絵に投げ、帰ってくる言葉を感じる。もしくは美術そのものの力に打たれて、頭を占領していた悩ましい思考を一気に消し去ってくれることもある。 いわば、美術を通して自分と対話する時間を取るような感覚。時に、たくさんの言葉や感情が渦巻いてしまう頭を鎮めるために、私は美術館に行くのが好きなのかもしれない。
6月1日
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